ある教会に赴任したときのことです。その教会は白いフェンスに囲まれていました。私は「この白いフェンスに花を飾りたい」という希望を一人の教会員の方にお話しました。

すると翌日、その方はなんと、たくさんの壁掛け用の植木鉢とお花の苗を寄付してくださったのです。教会の周りはお花で飾られ、道行く人々の目を楽しませてくれました。?

ところが、やがて、そのお花が、一鉢、また一鉢となくなってゆくのです。 「どなたかが、持ってゆかれるのかもしれない」と思った私は、植木鉢が取れないように、フェンスにつなぎとめておくフックを針金で硬く結びました。?

ところが、それでもやがて、一鉢、また一鉢とお花が鉢ごとなくなってゆくのです。硬く結ばれていた針金ははずされていました。 せっかく信徒の方が寄付してくださったお花が、これでは台無しです。

お祈りしておりますと、一つの考えが浮かびました。神様からいただいたかもしれないそのアイデアをさっそく実践してみました。 お花に水をやるとき、道行く人に、ときどきこのように話しかけたのです。?

「いやー、この町内の方々は本当に良い人ばかりですね。このようにお花を飾っても、誰も取ってゆく人はいません。すてきな所ですね。ここに住む人はみんな本当に良い人ばかりです!!」。?

いつのまにか、お花は一つもなくならなくなりました。不思議です。やはりこれは神様からのお知恵だったのかもしれません。 このように肯定的な宣言を「アファーメーション」というそうです。

「トイレをきれいにご使用くださり、ありがとうございます」という、あれです。 「アファーメーション」とは本来自分自身に対して肯定的な宣言をすること。自分の中に元々ある積極的な部分を明らかにして、宣言することをいうそうです。

「愛するとは、その人の存在を喜ぶことです。その人の隠れた価値や美しさを、気づかせてあげることです。その人に向かって、『あなたが生きていることは素晴らしい。私はあなたが生きていて幸せです。あなたの存在を喜んでいます。あなたは大切な、価値ある人です』ということを伝えることです。

人は愛されて初めて、愛されるにふさわしいものになります。そして何かができるようになります。積極的になります。愛されることによって、人はこの世界で何かを果たすことができるのです」(ジャン・バニエ『小さき者からの光』)。?

愛の宣言、肯定的な宣言は、神様から私たちに与えられている愛の性質を、明るみへと出してくれるものなのかもしれません。