以前、広島三育学院中学校の卒業式で、当時校長先生をされていた尾上史郎先生が、式辞で素晴らしいメッセージを話してくださいました。その一部をご紹介させていただきます。

 

リック・ウォレンという人が書いた『人生を導く5つの目的』という本の中にこんな言葉があります。

「あらゆる誘惑は善を行なう機会となります。霊的成長の過程においては、誘惑は過ちに陥る機会になると同時に、善を行なう機会にもなるということを覚える時、それはつまずきの石ではなく、踏み台となり得るのです。

誘惑というものは、単に選択を提供するだけです。たとえ誘惑があなたを陥れようとする悪魔の主要な武器であったとしても、神はあなたを成長させるためにそれをお用いになるのです。

罪を犯す代わりに善を行なっていく時、あなたはキリストの品性において成長していくことができるのです。」

神様は、計画通りに物事を進めることによってではなく、混沌と思える時期を用いて、あなた方のうちに本当の平安を教えてくれました。

同じように、待たされたり、思わず怒りたくなるような状況に直面することを通して、忍耐を教えてくれました。神様は、時折、理想とは正反対の状況を用いて、私たちに選択する機会をお与えになります。

正直さは、不正直になるという誘惑に打ち勝つことによって築き上げられていくのです。謙遜は、高慢になることを拒むことによって身に付き、忍耐は、あきらめたくなるような思いに打ち勝つことによって成長していくのです。

ここでの3年間の間に、このようなあらゆる誘惑を超えてあなた方は、今日の日を迎えました。

聖書のヤコブの手紙1章の12節をリビングバイブルでお読みします。

「誘惑に負けて悪に走らない人は幸いです。なぜなら、神様を愛する人に約束された、いのちの冠を、ほうびにいただけるからです。」

このキャンパスであなた方が毎日行ってきていたことは、実は特別な中学生にだけに許されたとても貴重な毎日だったのだということが、これからのあなた方の生涯によって証明されていくことになるのだろうと確信しています。

 

なるほど、そういえば、イエス様の公生涯は、荒野の誘惑に始まっています。

終わりの時代、社会的にも、自分自身の内側にも敵の攻撃が激しくなるこの時代、その攻撃を神様がお許しになっている以上、そこにも重大な意味があることを思い直すことができました。

「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります」(ヤコブの手紙 1章2~4節)。