以前、四国の松山で宣教のご奉仕くださいました李元鎬牧師は、ご家族共々、心から日本を、そして日本の同胞を愛され、信徒の皆様から愛され、惜しまれながら、韓国での新しい伝道地に発ってゆかれました。

松山集会所では、安息日の昼食はパトラック(持ち寄りの食事)となっていますが、牧師夫人は、毎週たくさんのお食事をご用意されていました。その奥様が韓国へ発つ前日、最後の安息日にこのようなお証をされました。

「皆さんはよく、『毎週毎週、お料理たいへんですね』と言ってくださいましたが、私は全然苦ではありませんでした。なぜなら、私たちが松山集会所を始めた当初の3ヶ月間は、私たち家族だけのお礼拝でした。その間、一人の青年が与えられただけでした。それから、一人増え、二人増え、今はこうしてたくさんのお食事を作ることができることが、楽しくてしょうがないのです。神様に感謝するばかりです。

ただ、皆さんに謝らなければならないことが一つあります。それは『明日もきっと新しい人が来てくれるに違いない』と思って、ついついご飯を作り過ぎた事です」。

私はそのお証を聞いていて涙がとまりませんでした。

 

李牧師と奥様が教えてくださった、韓国の詩(作者不明)をご紹介します。

「感謝の祈り」

主よ!時として病気を与えてくださり感謝します。

人間の弱さを知ることができるようにしてくださったからです。

たまに孤独の穴に投げ入れてくださり感謝します。それは主の近くに行く機会です。

なすことが計画通りにいかないようにしてくださることを感謝します。

そのおかげでわたしの高慢さを反省することができます。

息子、娘が心配の種になるようにしてくださり感謝します。

両親と同僚が荷物になったかのように感じるときもあるようにしてくださり感謝します。

それで人間としての生きがいを悟ることができるからです。

食べて生きていくのが大変であることを感謝します。涙をもってパンを食べるその心情が分かるからです。

不義と虚偽が渦巻く時代に生まれさせてくださり感謝します。

神様の義がはっきりと現されるからです。

汗と苦労の杯を味あわせてくださり感謝します。

そのおかげで主の愛を悟ることができるからです。

主よ!感謝できる心を与えてくださり感謝します。