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2003年7月 第199号


「野の花に教えられ」
東京中央教会第一長老 渡部 正廣

 今年の四月の半ば頃でしたか、用事がありまして隣の駅まで電車に乗りました。電車を降りて駅を出ますと、駅に通じる右手の歩道一面が真黄色になっているのです。驚いてよく見ますと、そこには、黄色いたんぽぽの花が咲いていたのです。あの歩道は確か煉瓦が敷きつめてあったのに、どうしてたんぽぽが咲いているのか不思議でした。
 近寄ってよく見ると、歩道は幅10センチ、長さ20センチくらいの波型をした煉瓦が敷きつめられていました。煉瓦と煉瓦のつなぎ目は、少しくぼんでいて、たんぽぽはそのくぼみから出ていました。もしかするとつなぎ目のセメントがとれて、土が直に顔をのぞかせているのではないかと思い、そっと、つなぎ目の上を指でこすってみました。つなぎ目はセメントで固定されていましたが、こすった指先にはネバネバした油気を含んだような黒い土がこびりついてきました。このつなぎ目のセメントの上には、長年にわたってこびりついた土が、二〜三ミリの厚さになってセメントの上を覆っていたのでした。そのような状態の所にたんぽぽの種が飛んで来て根を下ろし、春になって一斉に花を咲かせたのでしょう。
 たんぽぽは、まるで両手を広げるように葉っぱを左右に伸ばし、背筋もぴんと伸ばして、顔を天に向け、まるで「ハレルヤ!」と神様を讃美しているように見受けられました。しかし彼等の足もとには、彼等の生命を支え続ける程の土は無いのです。僅か二〜三ミリのこびりついた土だけが、彼等の生命の拠り所なのです。これだけの土で、どうしてこのような見事な花を咲かせることが出来たのか不思議でした。 たんぽぽは、そのような厳しい境遇に生まれ育ちながらも、何の不安も、思いわずらいもなく、ただ、ただ、精一杯体を伸ばして天を見上げて咲いているのでした。自分のつとめを立派に果たして、きれいな花を咲かせているたんぽぽの姿に、私は感動を覚えました。
 私は零細な家内工業を営んでいる者ですが、丁度二年程前に仕事先が倒産し、私の仕事も完全にストップしてしまいました。それからいろいろありましたが、一年程前に、現在の仕事先が与えられました。まだまだ不安定な要素の多い中での仕事ですが、神様の御守りを感謝して、元気に働かせていただいております。私があのたんぽぽに感動したのは、きっと、厳しい状況の中にありながらも、神様の御守りに支えられて、真直ぐ上を向いて、一心に自分のなすべきつとめを果たして咲いているたんぽぽの姿と、私自身の置かれている環境、そしてその中で生きている私自身の姿とが重ね合わせになり、たんぽぽの純粋さ健気さに心打たれ、教えられたからだと思います。
 「マタイによる福音書」6章25節から34節の御言葉が思い出され、感銘を受けました。神様の御守りの中に生かされている私達です。すべての事において神様を第一として生きることの大切さを改めて教えられました。



「深い傷、深いいやし、深い愛」(1) (5月17日「讃美と証の会」より〈抄〉)

 中田 初子(1986年2月受浸)

 約8年前、24歳のとき私は、摂食障害という精神的な病気になりました。簡単に言うと、食べ物に関してコントロールができなくなる病気です。食べられなくなる「拒食」、食べたくないのに大量に食べる「過食」などがあります。私の場合は過食で、ひどい時には一晩中あるいは一日中食べ続け、お腹がぱんぱんで苦しくてもまだ食べたくなるのです。自分ではどうすることもできなくて「誰か殺してくれ」という感じでした。ある人から「ただの食いしん坊」と言われ、「誰もわかってくれない」と一人で悩みをかかえこんだ時が一番つらかった。(もし身近に「心の病気」の方がいらしたら、病状を理解し、あたたかく受け入れて欲しいと思います。とにかくご本人もご家族も自分のせいだと責めないで欲しいです。ちょっとした心のひずみが病気につながってしまう、そういう時代なのだと思います。)
 しかし、家族の協力のもと治療を続けた結果、5年後、私はかなり回復しました。この間私は、色々なことを知りました。心の隙間を食べ物で埋めようとする「依存症」であること。自分が愛情を強く求めていること。だから、回復の助けになるのは愛情であること、などです。愛といえば神様でしょ。そう思ったとき私は、三育学院を卒業後教会から離れていたのに、現金なもので、すんなりと天沼教会に行きはじめました。すると神様は、安息日に多くの方の前で、自分の病気のこと、それを通して神様に再び戻れたことを証しする機会まで与えて下さったのです。これが、2年前のことです。
 お話がこれで終わると、めでたしめでたしなのですが、実は、今日のポイントはここからです。その後私は、グループカウンセリングに参加して、回復した患者として同じ病気の方にお話しする機会も与えられ、昔と比べると「絶好調」の日々…。「もしかして、私は完成したのかも。このまま天国へ一直線?」と思ったりもしました。でも、もちろん、とんでもない勘違いですよね。今思えば、とても高慢で、「ハイ」になりすぎていたのでしょう。
 そんな勘違い状態で生活をしていれば、当然、無理が生じます。しばらくすると、「あんな暗い話を人前でしなきゃよかった」などと、証ししたことを後悔し、また病気の症状が出てきて、とても落ち込んでしまいました。そして「私の信仰なんで所詮、いんちき。神様なしで病気が良くなっている人もいるのに」と、疑問を持つようにさえなりました。
 こうして、天沼教会には以前ほど足を運ばなくなりました。ただ、自宅から近い中央教会の礼拝に、やがて少しずつ出席はするようになり、なんとか神様から完全に離れることはなく、かといって信仰面での大きな成長があるわけでもなく、一年ほどが過ぎていきました。
 そんな状態でいた去年の夏、ある人から仕事に誘われました。私は他の仕事を断り、すっかりそのつもりでいたのですが、なんと突然その話が立ち消えになってしまったのです。やむをえない事情があったとはいえ、私としては一方的に突き放されたという思いがあり、とてもショックでした。そして、こみあげてくる怒りを押し殺して、自分を責めました、「私が無能だからだ。私はだめ人間なんだ」と。
 怒りが、内側に向くと、人は「うつ」になるそうです。私も、以前ほどでないにしろ、過食症状・不眠症状とともに、かなりうつ状態になってしまいました。何もやる気が起きません。精神安定剤を飲んでも効きません。夜中に冷蔵庫の前で扉をあけたまま倒れていたこともあり、また一人で苦しむ時期が少し続きました。
 こういう困った時、私は必ず本屋さんに行きます、誰にも話せず、ヒントを求めて。気分的にぐったりしていたけれど、この時もそうしました。そして、新宿の「オアシスブックセンター」という、キリスト教関連書専門の本屋さんで一冊の本と出会いました。『深い傷、深いいやし、深い愛』という、李光雨先生という牧師の方が書いた本です。[以下次号]



「聖句と私」 鈴木 伴枝

「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。」出エジプト記20章2節

 少し前ではあるが、一時、「少しでも聖句を暗唱しよう!」と張り切っていた時があった。初めに覚えるならやはりここでしょう、と、出エジプト記20章の十戒から覚え始めることにした。中学生の時以来、暗唱聖句なるものから久しく遠ざかっていたので、なかなかスムーズにいかない。余談だが、小さい時の記憶力というものが本当にすばらしいと思うのは、昔、教会などで意味もわからず覚えていた聖句を今もはっきり暗唱することができ、十戒のある部分の節だけはすらすら出てくるからだ。が、他の箇所はそのようにはいかない。間違っては始めから言い直し、つかえてはまた頭から…。「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である…!?」 この聖句を繰り返し覚えていた時、生まれて初めて神様の存在に出会った気がした。一昔前は聖書を読んでいても「何回も聞いている聖句」に過ぎなかったが、この節をはじめとして聖書に書かれていることが徐々に「生きたみ言葉」となり始めた。生きた言葉ととらえて読むと、何かすごいことが書かれてあることに気づき始める。本当に存在している神様とはいったいどのようなお方なのだろう? 案の定、現在暗唱聖句は滞ったままであるが、この「暗唱」にはいろいろな意味で力がありそうだ。(1986年、北浦三育中学在学中に受浸)



原宿彩彩

●いと小さき応援を
 6月7日の安息日の午後、関さんの車で、橘さん、関さんと御一緒に山谷伝道所へ、お米、野菜などをお届けに上りました。これらのすべては東京中央教会の皆様からの善意の贈物です。牧師の滝先生も大変お喜び下さり、皆様にくれぐれもよろしくお伝え下さいとお礼を述べられました。
 山谷伝道所は二階建の普通の家で、一階で集会がもたれています。この伝道所を基盤にして、山谷のホームレスの方々に、毎週日曜日の午後5時から路上で福音が説かれているのです。おすすめが終ると聴衆全員に夕食がふるまわれ、その数は二、三百人に及ぶのです。この山谷伝道所の働きに、東京中央教会も、いと小さき応援をさせていただいているのです。皆様有難うございます。(渡部正廣)

●VBS(夏休み子供聖書学校)-27、28、29日(日・月・火)。お待ちしています。 ★時間:朝 9:30から13:30まで。(27日には代々木公園へピクニック)★年齢:4 歳〜12歳 ★費用:800円(昼食代、教材・工作材料費、保険料とも)★募集人数: 30人(幼稚科・下級・上級、各10人)★お子さんをお待ちになる間に、保護者の方々に長池先生とお話しいただける時間を設けます。(児童伝道委員会)

●律子・トリプレット(旧姓古浦)さんから皆様へ
 去る6月8日、神様のお導きにより、皆様の多くの手と心に支えられ、ジョンと私は祝福に満ちた結婚式をあげることが出来ました。皆様のお力添えなしには、あの日はありえなかったとしみじみ感じております。夫のジョンは、現在米国ペンシルベニア州でバイブルワーカー(主に聖書研究を通して人々を神様にお導きする仕事)をしておりますが、来年からの仕事については導きを求めて祈っている最中です。大好きな文書伝道の働きにつくか、日本に帰って伝道のお手伝いをさせて頂くか、はたまた別の道を示されるか…二人そろって最も用いて頂ける場所にお遣わし下さいと日々祈りながらわくわくして答えを待っています。祈りのうちに覚えて頂ければ幸いです。本当にありがとうございました。(律子・トリプレット)



句歌

閑かさや岩にしみ入る蝉の声(芭蕉)

涼しさや鐘をはなるるかねの声(蕪村)
  (暑いという現実の中で涼しさを言うことで季語が際立っているそうです - 茂子)

美しき緑走れり夏料理(星野立子=高浜虚子次女)

由緒ある神宮苑の隔雲亭のぞめる池に睡蓮咲けり  夏雲のわきて光れる甲子園若さみなぎる球児の祭典(故・矢内美代子姉歌集より)



バイブル豆事典 ◆弟子シリーズ◆

主を売り渡した弟子-イスカリオテのユダ

 十二弟子の一人、イスカリオテのユダについては多くのことが謎に包まれています。どうやらユダヤ地方出身であり、主イエスを中心とする共同体(教会)の出納係であったこと、ベタニアのマリアが高価なナルドの香油を主に注いだ時そのことを非難したこと、また最後の晩餐の夜、銀貨三十枚で主をエルサレムの祭司長たちに売り、ゲッセマネの園で接吻を合図に彼らに渡したこと、しかしそのことを後になって悔い、首を吊ったとも皮肉な事故で死んだともいわれている以外は、ユダの人物像について何の手がかりも得ることができません。
 ユダは何故主を売り渡したのか?
 今でも納得のいく答えのないまま、私の中でくすぶり続けている問いです。ヨハネは福音書に「この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった」とだけ記しています。本当のところは何も明瞭ではありませんが、この問いに対する諸説の中から一つだけ引用しておきます。クリスチャンで批評家だった河上徹太郎の見解です。「ユダは信仰が薄かったのでもな(い)…。それなら何故彼(ユダ)が結局師を裏切る結果になったかといえば、それは彼に愛情が足りなかったからである。…彼は、イエスに対して勿論愛情は持っていた。それを疑うことは出来ない。然し彼の場合、信と愛とは別々のものであって、彼の信は、いわば知的な信仰、合理主義的な信仰であったのだ。悲劇の真諦はここにある。愛に裏打ちされぬ、合理主義的な信仰とは、もはやユダという宗教史上の一人物に限られた出来事ではない。我々の実生活の上で、夫婦の間にも友人の間にも、また理想や仕事に対してもある事実である。殊に近代の知的な人間によくみられる現象である」。(東京中央教会牧師 長池 明夫)



ED園だより

 今年もお向かいの家の「のうせんかづら」の花が咲き始めた。絡みついている木の緑とともに、誠に彩り鮮やかで、見惚れていると、思わず讃美歌が口をついて出てくる。実はこの冬、手術入院の後、体力が半減、声もか細くて、「元気印」と言われる私も、呆然とした。ところが、退院後初出席の礼拝日、讃美歌を歌っているうち、情けないほどだった声量がどんどん上がって終には以前の元気声に! 嬉しかったなあ。呆然の日々は神様への感謝の日々となった。…そして、もう夏。驚喜のあの礼拝日が、昨日のことのようだ。(T.S.)


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