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「書物の出会いと有用性」
教団名誉牧師 杉 繁夫

 読書によって得られる知識の価値は計り知ることができないものがあります。人はパンだけで生きるものではありません。人は出会いを体験することにより、出会いをきっかけにして生きて行きます。

 「出会いが起こるときには、一人の人間と
 いう存在が、別の人間という存在に出会う
 のであって、他者に出会うことによって自
 分自身についての認識を得……自分自身と
 出会うことができよう」
 (小林 司著 『出会いについて』 NHKブックス)

 人はいつも新しい出会いに力づけられ、支えられて生きています。人生のある時期においての出会いが新しい人間形成を促します。  スイスのエミール・ブルンナーは「出会いの神学」を基礎概念とした神学を提唱した神学者です。ブルンナーは『聖書の真理の性格』という著書の中で、「出会いというのは、人格的な主体相互の関係の出来事であって、神と人間との関係は『人格的応答の関係』である。教理のなかに真理を見出すのではなくて、神と人間との生きた現実のなかに真理を見出すことが出来る。」と言っています。

 聖書−永遠の聖典

 ペテロは、誤った接し方をすれば「無理な解釈をして自分の滅亡を招いている」 (II ペテロ3:16)と警告しています。問題は、聖書のある箇所に固執して、自分の見解や先入観を強調し、聖書の全体像を見誤ることです。

 私は東京大学法学部事務室に勤務していた時、基督者連合会主催による、前田護郎教授の聖書講座を一年間受講しました。その時のテキストが、『新約聖書概論』(前田護郎著,岩波全書)と『キリストと時』(クルマン著,前田護郎訳)でした。この2冊は聖書の全体像と終末論理解に有益な書物です。

 聖書は「書かれた神の言」ですが、説教は「語られる神の言葉」です。今年『ヨハネ福音書のこころと思想』(土戸 清著,教文館)(全7巻)を購入しました。著者は大森めぐみ教会土戸 清牧師です。5年間にわたる毎週の礼拝でされたヨハネ講解説教集です。

 『教会の時代』には、復活の主イエス・キリストは、「キリストの体」である教会を通して存在されます。『聖霊』(パラクレートス,助け主)によって、『説教』を媒介にして礼拝の場に『現在』され、私たちと出会ってくださいます。「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)というキリストの言葉は教会の本質をよく言い表しています。



教団・女性部セミナー『水がめを置いて』(9/16(金)〜18(日)奥多摩バイブルシャレー)に参加して
〜「賛美」と「証」、「祈り」の3日間〜  高橋 亜希子

 9月の3連休に女性部のセミナーに参加した。当教会からは私を含む計5名、全国から総勢40名が集まった。
 5歳の時から祖母に連れられ、多くのセミナーや大会に参加してきたが、“女性のためのセミナー”に出席するのは、今回が初めてだった。教団女性部長・北林信子先生による講義は4つのパートに分けられ、3日間にわたり、イザヤ58章をテーマに『SDA歴史の概要』から『3天使の使命』までを学んだ。
 11歳でバプテスマを受けた私は、その前に聖書の学びを「追求」したことで、いつしか黙示録を避けてきたような気がする。“裁き”や“審判”という言葉が、こどもだった私に、恐怖心だけを残したのかもしれない。
 自然のなかで、静かに神さまと交わることのできた濃密な3日間−−仕事ではアウトプットの繰り返しで、身の削がれるような日々を送る私のこころを「み言葉」と「祈り」が満たしてくれた。未熟な理解から脱却できたのは、言うまでもない。これまでの信仰生活を見つめ直したことで、もはや恐れもなく、「より学びを深めたい」という思いが溢れてきた。
 多くの“信仰の先輩方”に囲まれ、“若者”と呼んでいただいたが、皆さまのほうがむしろお元気で(お肌もツヤツヤ!)、何事にも積極的に取り組まれるお姿に、刺激を受けた。そして、今回は特に、幼い頃よりお世話になった信子先生とご一緒させていただき、まさに“幼な子”のような気持ちで過ごせたことに感謝している。
 「それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを確かなものにしなさい」(ペテロ第2の手紙1章10節=口語訳) いついかなる状況においても、ただ主に「従い」、「用いられる」者でありたい。

注)『水がめを置いて』とは…日常の雑事を置いて、神様と向き合う時間を過ごす、という意味。



聖句と私 中村 美樹

 母、この11月3日で93歳になった。家の中で伝い歩きをしながら、トイレ、居間、寝室と移動。私は必ず後ろから何時でも支えられる体勢で一緒に移動する。外出は車椅子なので、母は行きたい礼拝も簡単には出席できない。
 しかし、以前から気にしていた教会、バプテスト派の蓮根教会の存在を改めて確認、10月1日(土)夕方に立ち寄って教会案内をもらい、バリアフリーの点もチェックさせて頂く。残念だが、トイレは一人がやっと通れ、洋式1つに和式2つ。辛うじて玄関はスロープ、礼拝堂へも板が渡してあり一安心。
 さて、翌2日の「聖日礼拝」は、10時と11時からの2回があると知り2回目に出席。10時45分頃到着すると、既に4台車椅子の方がおられびっくり。9月には母を教会へ連れ出せなかったので、久し振りの讃美歌に大きな声を出して歌っている。しかし、我々の使っている讃美歌集と違い、半分は初めてのばかり。けれども母は臆せず共に讃美をしていた。聖餐式は着席したままでよかったが、「献金は志の有る方は前へ出て献げてください」と司会者が申され、車椅子の方は介添の方が押して献げておられるのを見て、私も皆さんの最後尾に付かせて頂く。何と全部で11台もの車椅子の方が礼拝に出席されたのである。座席数は150席プラス車椅子。車椅子を置けるようスペースを正確に計って設計されていたのであろうか。帰り際には、高木牧師が駆け寄って来て、母のために祈って下さった。心から感謝を申し上げて辞した。
 そして、8月の誕生日にある方から戴いた、いのちのことば社の「詩篇」の中から、27篇4節 「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを」……。母の心中を察して、この聖句を与えて下さった神に、感謝。



原宿彩彩

●講演会「黄昏に光を」(9.24)
 初秋の第四安息日午後、礼拝堂で、信徒伝道会主催の講演会が、「預言の声」部長・島田真澄先生を講師にお迎えして開かれました。演題は「黄昏に光を―聖書が教える人間の死、そして神」。難病や、また様々な苦難の中にあって、光を見出そうと真摯に前向きに生きる人たちの姿を示しつつ、死とは何か、神はどう導かれるのか、聖書は何を語っているのか、熱っぽく語って下さいました。この日は、聖書研究と礼拝説教も、島田先生によって持たれました。祝福のときを感謝します。
★次回の教会講演会は、11月第四安息日・26日午後に行われる予定です。講師は、教団総務局長・東海林正樹先生、演題は「かなしむ者たちの幸い」です。

●東京東地区合同礼拝(11.12)のお知らせ
テーマ:「起きよ、光を放て」
会場:ウェスレアン・ホーリネス淀橋教会チャペル
(JR総武線「大久保」から徒歩1分、山手線「新大久保」から徒歩3分)
プログラム:
 10:00 安息日学校 聖書研究ガイド:
      東京衛生病院チャプレン・伊能忠嗣牧師
      伝道地便り: 松本、錦糸町PMM
 11:00 礼拝 説教:千先 勉東日本教区長
 13:30 ゴールデン・エンジェルスのミニ・コンサート
     証と献身メッセージ
<子ども集会(安息日学校と礼拝)も行われます>

●もう、お読みになりましたか?
『サインズ』11月号巻頭の「羅針盤」に、熊谷幸子さんご寄稿文(食べるということ)が掲載されています。(編集部)

●雨上がりの榛名湖で感謝の祈り−青年修養会
 10月14日から二泊三日で群馬県の外れ、亀沢温泉(通称、美人の湯)へ。天候が心配でしたが、榛名湖畔での野外礼拝も到着と同時に雨が上がり、午後のネイチャーゲームまで天候が支えられました。そして宿に戻る途中また強く降りだし、一同神様のお支えに感謝。最終日はテニスで汗を流し、その後はバーベキューを楽しみました。(橘さん、無農薬野菜の差し入れ感謝です。こんなに人参が甘いなんて、という声がチラホラと)。そして自然を通して心も身体もリフレッシュして(女性陣は少し美人になり)帰路に着きました。(金城博明)

●ウィーンにて頑張っています。
 この10月より来年の6月までの予定で、ウィーンでのアパート暮らしを始めました。ウィーン国立音楽大学の大学院修了者のための研究課程にてオルガン演奏を学んでおります。市内観光にも便利なところですので、皆様、ぜひ泊まりにいらして下さい。
(森武靖子)

●「血液を通じて垣間見た創造のみ業」(10.15)
−第12回家庭セミナー− 講師:金子盾三先生
 今年最後のセミナーは、誕生から死まで生命を支え続けている「血液」がテーマ。何よりの感激は、赤血球・白血球・血小板の形状や動きをスクリーンで見たことです。実験台となったのは藤崎敦兄。10個のハンドベルを駆使した独演の前と後に、先生によって指先から採血した血液がどう違うかをつぶさに観察できました。高蛋白・高脂肪・ストレス等がなぜ血液のサラサラを阻むのかといった医学的なご説明に加え、アバラ骨から造られたエバと幹細胞、地上に生きた最も柔和な人モーセと脱核までして身を柔らかくし毛細血管に酸素を運び続ける赤血球等々、聖書に重ねたお話も続き、改めて創造のみ業に目を見張る一時間でした。学んで不思議は募るばかり。先生、この続きをよろしく。(係)




 秋晴れに娘吾れ乗せドライブに
 秋の空昼頃晴れて外に干し
 秋雨や一降り毎に衣を重ね
 ぶどうがり終日楽し甲斐路かな
 籐の籠編み終りけり野菊挿す
 おひくに木の葉色づく並木道
             (夏仙)


連載・第11回 歴史のなかの讃美歌(5)

16〜17世紀
及川 律

 ドイツやスイスで始まった宗教改革は、ルターによって集約され、ヨーロッパの社会をひっくり返すほどの大きな力となっていきました。よく言われることですが、宗教改革はグーテンベルクの印刷機の発明なしにはあり得なかったのです。印刷機なしには個人の所有する聖書はあり得なかったですし、聖書第一主義の宗教改革はこれほどまでに広がることはなかったでしょう。同時に、讃美歌集もこの同じ印刷機の恩恵を被ることになります。
 最初のプロテスタント讃美歌集はカルヴァンによって作られました。これが有名なジュネーヴ詩編歌です。この歌集には、「あめつちこぞりて」讃美歌539番、「われら主をたたえまし」讃美歌6番、「めぐみゆたけき主を」讃美歌12番などが含まれています。詩編歌とは詩編の言葉をそのまま簡単な節につけて歌ったものです。カルヴァンは、一時ジュネーヴからストラスブルクに避難していたとき、別の改革者ブーツァーの礼拝に出席し、彼の礼拝で会衆讃美がふんだんに用いられていることに感銘を受け、ジュネーヴに帰ってからこの讃美歌集を作ったと言われています。ルターもカルヴァンの詩編歌に刺激されて、讃美歌の重要さに気づき、自分でも讃美歌集を出版しました。このあたりがドイツコラールの始まりと言っていいでしょう。「ちしおしたたる」讃美歌136番、「神はわがやぐら」讃美歌267番、「いざやともに」讃美歌2番などが代表です。ルターはそれまで歌われてきた讃美歌をできるだけ使うように勧め、時には教会の外で親しまれていた流行歌に讃美歌の歌詞をつけることもためらいませんでした。また楽器を用いることも容認していました。
 一方スイスの改革者ツイングリは、個人的には音楽を愛する有能な音楽家で、子供たちに熱心に歌を教えていたにも拘わらず、教会の音楽を一切否定し、一時は教会で歌うことを禁じたこともありました。また、パイプオルガンも、教会から取り除いてしまったり、一切使わせなくしたりしました。おかげで、スイスから古いパイプオルガンが多数消えてしまいました。他の急進的改革者たちも、音楽にはあまり関心を示さず、彼らの礼拝のほとんどが聖書の朗読と説教で占められていました。  しかし、音楽のない礼拝を一般信徒が我慢しているはずがありません。しばらくすると、詩編歌やコラールを多用するようになっていきます。讃美歌にとって、宗教改革の果たした最大の功績は、聖歌隊だけのものになってしまっていた讃美歌を会衆のもとに引き寄せたことでしょう。次回は、この改革後の音楽の流れの先に位置するバッハを取り上げてみたいと思います。



ED園だより

 空が高く澄み渡り、秋はいよいよ深まりました。もう今年もここまで来たのか。夜長に振り返れば、あんなこと、こんなこと、いろいろありました。自分の義を通そうとしたり、この世の君(サタン)の脅しに賛美歌267番(ルターの「神はわがやぐら」)で対抗したり。イエス様の愛の杖に導かれて迷いの羊は道に戻れました。永遠の命の希望があるのと無いのとでは、天と地との開きを超える差があります。イエス様に委ねての平安を感謝!     (Yo)

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間がだいぶあいてしまい申し訳ありません。徐々にうめていきます。

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