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2007年1月 第242号                                         
     
知恵と知識との宝

                
SDA東京中央教会牧師 長池 明夫                            
 明けましておめでとうございます。新年も皆様が主の平安の内に歩まれるようお祈りいたします。かつて横須賀教会にいた頃、ある求道者の方から教会のためにとエアコンを頂いたことがありました。そのお返しに教会からは聖書と、その方がお好きだったこともあって、教会を背景にあしらったジグソーパズルゲームを差し上げることになりました。
 数日たって、その方からお電話があり、「先日いただいたパズルはとても難しいものだったけれども、やり甲斐があり楽しませていただきました。先生もぜひやってみてください。」とおっしやったのです。早速、私もお借りしてチャレンジしてみましたが、実に難しく苦労してやっと完成することができました。似たような形のピースが無数にあっても、当てはまるものはたった一つしかないのです。似ているからといって無理に押し込んでも首尾よくはいきません。その作業を続けながら、このような言葉を思い起こしておりました。
「神によって道られた人間の心の中には神のかたちをもってする以外に、決して埋めることのできない空洞というものがある。」 これは著名な科学者パスカルが残した言葉です。
 ソロモンもきっと心の中にある種の空洞があることを感じて、そこにいろんな「かたち」をあてがおうとしていたのではなかったでしょうか。しかしソロモンは様々な試行錯誤の果てに、やっと本分に立ち返ったのでありました。父親がダビデであったことは、きっとソロモンにとって大変な重荷であったに違いありません。つまり父親とは違う自分の人生を強く意識して生きることがすなわち、ソロモンの試行錯誤であったような気がしてならないからです。
 しかし神はソロモンを覚え、愛し導いてくださいました。試行錯誤の多い人生ではありましたが、ソロモンの心の空洞にビックリ当てはまる神のかたちで埋めてくださったのです。「すなわち、神を恐れ、その命令を守れ、これはすべての人の本分である」。
 私たちもまた教会も、ある意味ではソロモンとは違った試行錯誤を繰り返しているところはないでしょうか。私たちの心の中にも教会にも、ある空洞があり、いったんは神のかたちによって塞がれてはいるのですが、しかし時として塞がれたところにすきま風が吹く場合だってあり得るのです。私たちはキリストの再臨を通して御国に与らない限り、絶えず不完全なままで、すきま風はどこかに吹いているからです。それが、この地上の旅路であり教会の歴史ともいえるでありましょう。しかし、どのような時においても、その隙間はある「かたち」を持ってしか、塞ぐことができないのです。そして、それがキリストであることを、私たちは知っています。聖書の御言葉にあります。「キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている。」(コロサイ2:3 ) 今年の私たちの歩みも、キリストのうちに知恵と知識の宝を発見する一年でありたいと願うものであります。

                                                                                                      






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