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2006年12月 第241号                                         
     
受胎告知

                
             近藤 新生                            
 「すると、天使は言った。『マリヤ、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。』…マリヤは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』 そこで、天使は去って行った。」(ルカ1 : 30, 31,38) レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとして、西洋の多くの画家たちが、この光景を受胎告知と題して描いてきました。マリヤの驚き、そして「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」という信仰、これは本当に美しい物語です。
 私たちは、この受胎告知を受けたのが、特に身分の高い女性でもなく、特別な才能を持つ女性でもなく、私たちと何もかわらない、ユダヤの田舎町ナザレの名もない一人の乙女であったことに、改めて神のみ旨を知りたいものです。人間の苦しみや悲しみ、惨めさの中に身を置いて、名もなく、貧しく生きてきた、謙虚で信仰深い庶民の、一人の乙女を神はイエスの母として選び給うたのです。
 そこには、神の恵みと限りない慈しみの業をみることができます。バルトは彼のクリスマス説教の中でこう述べています。「信仰により頼み、信仰において思考し、信仰において行動するとき、その身がどんなに貧しく、無名の人間であろうとも、彼は神のみ使いの来訪を受け、呼び出されて、特別な位置に置かれ、その位置につくことを許されるマリヤとなるのである」と。
 ただ、信仰によって私たちもこのマリヤが受けた恵みに浴することができるのです。皆さんは信仰によって自分がイエスの母となり得るのだとお考えになったことがあるでしょうか。
  「イエスは、『わたしの母、わたしの兄弟とはだれか』と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。『見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。』(マルコ3:33〜35)
 イエスは神の御心を行う者こそ、わたしの母であると言われました。言うまでもなく、それはイエスを信じて従う一人ひとりを指しています。それは私たちが、謙虚に信仰により頼んで生きるとき、神のみ使いの来訪を受け、あのマリヤに与えられたと同じ祝福と恵みを受けることができるということを意味しています。
 マリヤヘの告知を、今や、私たちは信仰を通して、自分自身の内側に告げ知らされた告知として受け止めることができる者となれれば幸いだと思います。事実、私たちが心素直に主に従うとき、イエスはあなたを「わたしの母」と呼んでくださるのです。 (「シャローム横浜」理事長/「シャローム三育保育園」園長)
                                                                                                      






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