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2005年4月 第220号                                         
 
 「人間をとる漁師」
 
         
    前東京中央教会副牧師 柴田 寛    
     
 このたびの人事異動により、私は4月から「beehiveミニストリー」の専任チャプレンとなりました。たった1年でしたが、中央教会の皆さまと親しくお交わりさせていただき、色々とお世話になりましたこと、心から感謝しております。と言いましても、すぐにどこかへ行ってしまうわけではありません。しばらくはこのまま東京中央教会をお借りし、次の段階へと進む準備をさせていただきたいと思っておりますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 そこで今回は、この異例とも言える人事が行われた背景について、紙面の許す限り書いてみたいと思います。(どうぞお手元に聖書をご用意下さい。)

 まず、世の終わりは確実に近づいているということです。これは私たちアドベンチストの信仰ですからご説明するまでもありませんが、刈り入れの時は昨日より今日、日々一刻と迫っているのです。が、世の人々はどうかというと、「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている」(マタイ9:36)のです。2000年前キリストは、そのような人たちを見て「深く憐れまれた」ばかりでなく、次のように言われました。

 「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(同37、38節)

 さらにキリストが昇天する間際に言い残していかれた言葉は「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(同28 : 19)です。

 このキリストの叫び、遺言ともとれるこの言葉(“大宣教命令”と私たちは呼びますが)は、2000年前より強まっていないはずはありません。現に150年ほど前にエレン・ホワイトは、「世界で最も欠乏しているものは、人物である。」(『教育』54頁)と言っています。

 この日本の現状と、宣教11O年目を迎えた教会の現状を見たときに、今、このご命令に従わないではいられないのです。beehiveは新しい教会を建て上げようとしているのではありません。そうではなく、キリストの「弟子」すなわち「人間をとる漁師」(マタイ4:19) を育てようとしているのです。

 みなさんは水族館はお好きですか? 私は大好きです。色とりどりの魚、特定の環境にしか住めない魚、毒を持っている魚。それだけでなくタコ、力二だって泳いでいます。その種類は様々です。人間も同じです。この千差万別の魚たちは、教会がこの110年の間とってきた魚の他にも実は沢山いることを教えてくれています。人の目には雑魚としか思えない魚であったとしても、神の目には等しく貴重な存在(イザヤ43:4)なのです。原宿を歩いている人たちもしかりです。

 紙面の都合で書きたいことのほんの一部しか書けませんでしたが、最後に先ほど引用したエレン・G・ホワイトの文章の続きの文章をご紹介して終わります。beehiveはまだまだ途上であり、ビジョンに向かって歩み始めたばかりです。どうぞ今まで以上に励ましのお言葉をいただけたら幸いです。

「しかし、こういう品性は偶然にでき上がるものではない。それはまた神の特別な恩恵や天分によるものでもない。高潔な品性は自己修練の結果である。それは肉欲を精神に従わせること、すなわち、神と人とに対する愛の奉仕のために自我を克服することによって達せられるのである。」(『教育』54頁)


*4月より教会籍は亀甲山教会に転会します。
 いろいろとありがとうございました。







連載・第4回  聖書のなかの讃美歌(1)
 詩篇

                       及川 律

 まず、聖書のなかに出てくる讃美歌といえば、詩篇でしょう。詩篇はダビデが書いたと伝えられていた時期もありましたが、彼が直接書いたものはあったとしてもごくわずかであると考えられています。いつごろかということも特定が困難で、一部のものはかなり古く、実際にダビデが生きていたころに書かれた可能性のあるもの(詩篇18、29、68篇など)から、バビロニア捕囚の後に書かれたものまで様々です。おそらく紀元前1000年ごろから、紀元前200年ごろまでの約800年の時をかけていろいろな人々が書いた讃美歌集であると言えます。
 形式も様々で、例えば119篇などはかなり凝った作りをしており、各部分は、ヘブル語のアルファベットを最初の文字として始まり、順番にアルファベット順に並んでいます。いわばヘブルの「いろは歌」といえましょう。ほかに並行法(パラレリズム)と呼ばれている手法があり、同じ意味のことを言い方を変えて2行で表す書き方です。これは、ソングリーダーのような人が1行目を歌い、会衆が2行目を歌うというような歌い方が古くから行われていた証拠であると考えられています。ほかにも、韻を踏んでいること、リズムがそろっていること、アクセントの位置がそろっていること、各行の長さがそろっていることなどから、音楽の形式をある程度推測することができますが、楽譜として残っているものはなく、あくまでも現在のユダヤに伝わっているメロディーから想像する以外、方法はありません。内容も、讃美、礼拝、嘆き、後悔、教調、人生観、祈り、戒め、戦いの歌、国家の繁栄、預言など、様々です。
 詩篇全体は五つのセクションに分かれており、モーセの五書を意識して作られたとも言われています。中世の修道院では、詩篇をグレゴリオ聖歌のメロディーにのせて毎日歌っていました。約1週間で150曲全部歌っていたようです。スイスの宗教改革者カルヴァンも詩篇を礼,拝の大切な柱と考え、,プロテスタント讃美歌集の原点ともいえるジュネーヴ詩編歌を出版しました。世界中で、2500年以上もの間、教会や、シナゴグ、そして家庭で毎日詩篇が朗読され、歌われてきました。詩篇は、公開の讃美であると同時に、クリスチャンの個人的信仰を最も有効に表現する手段の一つです。私たちの礼拝でも、もっともっと詩篇が用いられることを願っています。   (次号へ続く) 
                                                                                                      






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